「院長!起きていらっしゃいますか!?急患です!」 真夜中、激しく自室のドアを叩かれてシャークは舌打ちをしながら起きあがった。 「たく、こっちは寝不足だってのによ。」 昼間は只今人生を賭けた勝負をしているギルカタール王女のアイリーンに連れ回されているシャークとしてはもっともな不満だが、口の割にはシャークは素早い動作でベッドかた起きあがると枕元にかけてあった白衣を羽織る。 ものの1分足らずで出てきたシャークの姿に驚くでもなく、ドアを叩いた医師は手術室に向かいながら説明をする。 「急患は18歳前後の女性です。夜遊びでもしていてチンピラの喧嘩に巻き込まれたらしく、外傷で運ばれてきました。」 「傷の程度は?」 「予断を許すものではありませんね。短めのナイフで右肩から左脇腹まで斜めに切られてます。」 「そりゃあ、ちっと厳しいぜ。深さはどれぐらいだ?」 「右肩の方はかなりですが、臓器のあるあたりは幸い浅めです。」 「よし。」 シャークは頷いて丁度到着した手術室のドアを開けた。 騒然としていた室内がそれによって一瞬静まる。 揃っているメンツを確認してシャークは言った。 「全員落ち着いてかかれよ。患者はどいつだ?」 「こちらです、シャーク様。」 看護師の一人の声にシャークは振り返る。 そして ―― Nightmarish 「・・・ク、シャークってば!!」 「んあ?」 急に脳みそを揺さぶられるような声に、シャークははっとした。 どうもぼーっとしていたらしい。 軽く頭を振って見ればここは薄暗い洞窟で、目の前にいるのは訝しげな顔をしたアイリーン。 「ああ、姫さんか。」 「姫さんかって貴方ね。」 呆れたように言ってアイリーンはため息をついた。 まあ、それももっともな反応だろうとシャークは苦笑した。 今さっき出逢った相手ならともかく、王都から少し離れた洞窟までもう1、2時間は一緒にいる相手を今更確認されたのだから。 「話しかけても生返事が多いなあ、とは思っていたけど。」 「別に姫さんを無視してたとかじゃねえぞ?」 恨みがましい目で見られてシャークは慌てて首を横に振った。 無視していたと言うわけでは本当にない。 むしろ・・・・ 「まあ、いいけど。何、昨日も寝不足?」 そう聞かれてシャークは曖昧に笑った。 「ん、まあな。」 「ふうん、病院っていつも思うけど大変なのね。」 「いーんだよ、姫さんはそんなこと気にしねえで。」 「でも、あんまり忙しいようなら誘っちゃ悪いでしょ?」 そう言われて、シャークは内心焦った。 「いや、別に最近はそれほどでもねえよ。ただ昨日はちょっと急患があっただけだ。」 「そう?」 言いつくろったシャークに、まだ腑に落ちない表情をしながらもアイリーンは視線を前に戻して・・・・ぽつっと付け足した。 「まあ、付き合ってくれるんならいいんだけど。・・・・あんたじゃないと嫌だし。」 「姫さん?」 付け足された言葉に驚いて隣を見た時には、すでにアイリーンは数歩先に行っていた。 洞窟の薄暗さに紛れてさすがにハッキリとは見えないが、斜め後ろから見えるその頬が少しだけ赤くなっている事に気付いてシャークはにやけそうになる口元を苦笑で覆い隠した。 (どう考えても、可愛いじゃねえかよ。) 以前、同じ洞窟でした話を思い出してシャークは心の中で呟く。 自称、素直じゃなくて可愛くなくて女らしくないアイリーンは、シャークにとっては紛れもなく特別可愛い女なのだ。 そうでなければあんな事で動揺したりしない ―― 不意に頭を思い出したくもないヴィジョンが過ぎってシャークは黙った。 その沈黙が唐突過ぎたのか、数歩前を行っていたアイリーンが振り返って声をかけてくる。 「シャーク?」 微かに心配そうな響きを潜ませた自分の名に、シャークは笑ってなんでもないと返そうと顔を上げた。 その瞬間、アイリーンの背後の薄闇が前触れもなく大きく蠢いた。 「!?」 気配を感じたアイリーンが驚いて振り返る。 その視線の先で、闇から飛び出してきたモンスターがアイリーンに向けて鋭い爪が鈍く輝く腕を大きく振った。 ―― 脳裏にフラッシュバックする 少女が一人、寝かされている 色を無くした唇から零れる息はか細く、抉られた胸からは止めどなく深紅の血が零れる その血は真っ白なベッドに禍々しい華を咲かせるように広がり ・・・・夜色の髪さえも零れ落ちる命の色に染めて 「姫さん!!」 ―― どう動いたのかは覚えていない。 とにかく気が付いた時には目の前には一降りで首を飛ばされたモンスターが転がっていて。 たいした動きはしていないはずなのに、酷く乱れている呼吸を押さえながら振り返れば尻餅を付いたような格好のままの、アイリーンがいた。 驚いたようなきょとんとした瞳に、急に怒濤のような安堵感が溢れてシャークは崩れ落ちるように座り込んだ。 「シャ、シャーク?大丈夫?」 ぎょっとしたようにアイリーンが慌てて覗き込んでくる気配を感じてシャークは密かに苦笑した。 (大丈夫かって?そりゃ・・・・) 「・・・・大丈夫じゃねえよ。」 「ええ!?」 ぼそっと呟いた言葉にアイリーンが声を上げるのを聞きながら、シャークは今だダガーを握ったままだった手をゆっくりと動かした。 カランッと妙に乾いた音がして手からダガーが落ちる。 「ちょっと!まさか、怪我でもしたの!?」 「怪我はしてねえ。」 そっけなく応えてシャークは自分の手に目を落とした。 怪我はしていない。 けれど、アイリーンが怪我をするかと思っただけで・・・・震えが収まらない。 (昨日の急患のせいだ。あの患者が姫さんと似た色の髪なんぞしていやがるから。) もし、この少女が彼女だったら。 そんな想像にぞっとした。 見知らぬ少女ではなく、アイリーンが血に染まって運ばれるような事になったら。 「怪我してないならどうしたのよ?」 眉を寄せてなおも心配そうに覗き込んでくるアイリーンの藍色の瞳を見て、シャークは緩く息を吐く。 全身の緊張を弛めるように。 そして今だ震えの収まらない手を伸ばして、アイリーンを抱き寄せた。 「!?シャーク!?」 驚いて身じろぐアイリーンの耳元でシャークは懇願するように囁く。 「・・・・少しだけ、このままでいてくれ。」 「い、いけど・・・・」 戸惑ったように、それでも大人しくなったアイリーンをしっかりと抱きしめて自分に言い聞かせる。 ほら、彼女は暖かく、ちゃんと鼓動の音がする。 ちゃんと守り通せたのだと。 「・・・・姫さん」 「何?」 腕の中でアイリーンが顔を上げようとしたのはわかったが、目を合わせないようにシャークはアイリーンの肩に額を付けた。 そうするとより強く感じることの出来る体温に徐々に収まっていく震えを感じる。 (まったく、情けねえよな。失うかと思っただけでこの様だ。) ―― もしも実際にアイリーンを失ったら・・・・ シャークが最悪の想像をしかかった時、不意に胸のあてられていたアイリーンの腕に力が入って引き離される。 そして距離が開いたことで向かい合う形になったシャークとアイリーンの瞳がぶつかった。 普段は気の強そうな瞳が困惑の色に染まっている事にシャークは口元を緩めた。 「なあ、姫さん。」 「?だから何?どうしたのよ?」 「俺以外の奴を同行者にすんなよ。」 「え?」 突然何を言いだすんだこいつは、と書かれているような顔をするアイリーンの頬をシャークは無造作に撫でる。 それだけで指先が痺れたように熱く感じるほど、自分はアイリーンに参っている。 それがわかっているから、絶対に失えない。 なくすつもりももちろんない。 シャークはアイリーンの髪を一房すくい取って唇を落とした。 この夜色の美しい髪を、血で染めるような事にはけしてしないと誓うように。 〜 END 〜 |